
今回は、太秦(うずまさ)の広隆寺から目と鼻の先にある
蚕ノ社(かいこのやしろ)をご紹介します。
蚕ノ社とは渡来系氏族である秦氏が建てた神社のことで、通称です。
秦氏は養蚕や機織物で財を成したことから、この神社には氏にあやかり製糸業者や染色業者からの参拝が絶えないそうです。
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広隆寺を後にしたぼくが次に訪れたのが、蚕ノ社だ。
正式には木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)というのだが、名前が長いから「もう一度言って」と言われても、もう言わない。
本殿の東側に織物の神様を祀る蚕養神社(こかいじんじゃ)があることからいつのころからか「蚕ノ社」と呼ぶようになった。
この神社は閑静な住宅地の中にある。住宅地の中にある、というよりまわりが勝手に住宅地になった、といえばいいだろうか。
平安時代にまとめられた歴史書、『続日本紀』(しょくにほんぎ)のなかで大宝元年(701)四月三日の条に「木嶋神」と記されているから、少なくともそれ以前には神社として成立していたことになる。
(ちなみに現在の社殿は江戸時代に再建されたもの。森の木々は明治時代に整備されたものだ。)
境内はうっそうと茂る森に囲まれている。鳥居をくぐってから社殿まで歩いてみて、意外にも奥行きがあることがわかった。どうやら森の木々によって遠近感が狂ったのかもしれない。不思議だ。
しかしなんというかこう、言っちゃなんだが、近寄りがたい雰囲気のする神社だ、というのがぼくの第一印象である。
蚕ノ社には象徴的な建造物がある。
三柱鳥居(みばしらとりい)のことである。
京都三大鳥居にも数えられるほど由緒あるものだが、全国的にも3本足の鳥居はたいへん珍しい。
近寄りがたい雰囲気を感じた源泉は、ここだったのだ。
ぼくは「珍しいものを見た」ことよりも、「見てはいけないものを見た」ように感じた。鳥居の中心部には石が積み上げられているが、神座(かむくら)といって神様が宿る場所である。
ぼくは鳥居を見たとき
「イギリスにあるストーンヘンジの日本版みたいなものじゃないかな」、などと、ふと思った。実に摩訶不思議で、両者に共通する神秘性を感じてならないのだ。
鳥居は元糺の池(もとただすのいけ)の中にある。そして神社を囲う森は、元糺の森(もとただすのもり)という。名前からもわかるように、以前紹介した下鴨神社の糺の森と深く関係する。
蚕ノ社を建立した秦氏は、長い歴史の中で、古代京都の豪族・賀茂氏とも血縁関係があった。つまり下鴨神社の「糺の森」の元祖は蚕の社にあったのだ。
秦氏は平安京の造営にあたって、土木技術やみずからの土地を提供するなどして、都づくりに貢献したことがわかっている。秦氏・賀茂氏は、京都を形作る上で重要な人々だったのだ。
蚕ノ社では、下鴨神社の「足付け神事」と同じで土用丑の日に、元糺の池に足をつけて無病息災を願う信仰が存在する。
現在池の水は枯れているようにみえるが、水の出し入れは取水ポンプで調節するという。だから毎年、足付け神事には水をこんこんと湧き出した状態に演出できるのだ。
ぼくはずっと「近寄りがたい雰囲気」を感じていたが、鳥居の前には柵が張ってあり、
実際に近寄れなくなっていた。
もしも、鳥居のすぐそばまで立ち入っていたら、どうなっていたんだろうと思った。
と同時に柵を見たとたん、現実に踏みとどまった気がして胸をなで下ろした。
まったく…、今日はやれやれな旅である。
写真と文 / 高橋友和
■蚕ノ社・・・
京福電鉄嵐山線 蚕ノ社駅下車。徒歩約4分。
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