
8月16日、夜8時10分。
ぼくは今、船岡山(標高112m)の山頂にいる。
京都の夏の締めくくり、五山の送り火を眺めるためだ。
船岡山では鳥居形以外の4ヶ所を望むことができる。
(見る場所を移動する必要はあるが。)
残念なのは、絶好の観覧ポイントとしてあまりにも
有名すぎることである。普段は静かな頂上なのだが、
この日に限っては花火大会か盆踊り並みの賑わい
を呈するのだ。およそ数百から1千人はいるとみた。
ぼくはもう30分以上も前から左大文字の燃える姿を写真に収めようと、
頂上のなかでも最も迫力のある画を撮れる場所に陣取っているところだ。
なぜ、先日山登りを体験した右大文字を撮影しようとしないのか。
右大文字を見る場所まで行くには街灯がほとんどない道を
歩かないといけない。
つまりその…、暗いところが怖いのだ。
当初“覚悟”して足を運んだのだが、3m前を歩く人の
姿が暗闇に消えるのを見て急にきびすを返すことにした。

左大文字の火床に炎が燃えはじめた。
お、こらッ。
目の前に20代のカップルが割り込んできた。
このままでは男の頭がジャマで「大」の字が写せないではないかッ。
思わずぼくは、水平チョップをお見舞いしてやろうとしたのだが、
男女は中国からの留学生であるらしく、送り火に感動する2人に免じて今回は許すことにした。
山の頂きは、もう、押し合いへし合いの状態だ。
今度は真横から、パタパタという音と共に生ぬるい風が吹いてきたぞ。見ると50〜60代のおばさま軍団4人である。
扇子をひっきりなしに仰いでいる。コロンの香りまでがその風に運ばれてぼくの鼻にツンときた。とたんに気持ちが悪くなった。
思わずぼくは、ジャーマン・スープレックスならびにドロップキック、もしくはラリアットを食らわせてやろうとしたのだが、幼い日の送り火の思い出話に花を咲かせていたのに免じて今回は許すことにした。
真後ろでは欧米系の30代男女数人が歓声を上げている。
文化の違いとはいえ、少々うるさい気もする。
思わずぼくは、ダイビング・エルボードロップならびにダイビング・ヘッドバット、場合によってはアリキック、そしてとどめにサソリ固めをかけてやろうとしたのだが、カメラの写り具合に満足した笑みに免じて今回は許すことにした。

何はともあれ、無事に左の「大」は点火した。
右大文字、舟形など他のものを観覧しようとして人の移動が多くなり、やっと絶好のスポットから撮影することができた。
五山の送り火。
いろんな個性を持った、それぞれの人生を送るたくさんの人が一斉に集まって同じものを見る。
でも共通するのは、全員が笑顔になる、ということだ。
――京都の夏は毎年、五山の送り火を境に風が涼しくなり秋の気配を感じるようになる。
夏の終わりと秋の始まりを区切るなら、おそらく8月16日になるん
じゃないかとぼくは思う。
と締めくくりたかったのだが、いったいこの連日35℃を越える残暑はなんなんだ。暑すぎて、もう、体が解けそうである。
思わずぼくは、太平洋高気圧に必殺のコブラツイストをかけてやりたくなった。
写真と文 / 高橋友和
■船岡山・・・
市バス「船岡山」下車 徒歩3分。
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